津屋城

別名-  付近住所 岐阜県海津市南濃町津屋2016 現在 本慶寺
2012/4/2 碑、案内板アリ


高木氏  津屋城は、関ヶ原合戦まで高木八郎左衛門正家が居城していたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の時、石田三成方(西軍)に従ったため没落し廃城となった。八郎左衛門正家は記録によれば、高須城主高木十郎左衛門の縁者であり、十郎左衛門は高須日記によると、文禄元年〜慶長5年8月(1592〜1600)まで高須城主に在り豊臣秀吉の旗下と伝えられる。
 現在は、慶長8年(1603)に当時の領主 徳永法印寿昌(高須城主)の許しを得て移された本慶寺となっている。寺を中心とした付近一帯が城跡で、主郭部は境内にあるが付近は道路が通じた住宅が建ち、全容を明らかにすることはできない。
 主郭は内堀と土塁に囲まれた区画内で、西北隅の一画(離屋敷地)が一の曲輪、それより一段低い平地(本堂・庫裡敷地)が二の曲輪で南側内堀の外側に三の曲輪(畑地)があり、大手門があったと考察される。堀は主郭を囲む内堀と、三の曲輪を内側とした外堀の二重堀で、西高東低の傾斜地のため、南・西・北の三方は空堀で東側は水堀とし、ことに外堀東側は津屋川を中心とした池沼となっている。主郭の西側に屋敷、北側に西曲輪・台所曲輪が配され、東側虎口に一段低く大手曲輪があり、さらにその下段に屋敷・馬場などが川岬に配置されていたようである。
 津屋城跡は、北勢地方に多く見られる「北勢四十八家衆」の城と、城地条件・縄張形式がまったく相似しており、歴史的連繁がうかがわれる。岐阜県では、希な中世平城遺構で貴重な文化財といえる。

          


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